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大学入学時点で「将来の目標」がある人は1割程度
出谷昌裕氏(以下、出谷):私は18歳くらいまでは、普通の高校生でした。部活はテニス部に入ってがんばって、部活を引退したあとは、勉強を死ぬほどしました。そして普通に受験して京都大学に合格しました。また自慢話か!という顔をしないでくださいね。話は、ここからです(笑)。
私には兄がいるのですが、大学に入るまでの私は、たとえば中学は、兄がいる学校に入ろうとか、兄が入っている部活に入ろうとか、部活に入ったら、県大会が目標だ、高校に入れば、あの大学が目標だ、部活ではこの大会で何位になるのが目標だと、ずっと学校や身内から目標を与えられてきました。
ところが、京大に入るという最大の目標を達成してしまったことで、自分のなかに、これからこうしたい、こうなりたいというものが、まったくなくなってしまったのです。
ここでみなさんに聞いてみたいと思います。将来、これをやりたいとか、こういうことを実現するんだとか、何でもかまいませんが、目標を持っている人はいますか?
(会場の参加者が挙手)
出谷:1割くらいですかね。1割いればいい方だと思います。大学に入るまでは、みなさんも受験という目標あったと思います。でも、大学に入ると目標なんてひとつも言われない。私の場合、極端な言い方をすると、生きる活力を一気に失ってしまったという感じでした。授業にも半期に3回しか行っていなくて。今でも覚えていますが、1年の前期に取得できたのは、たった2単位でした。
学校に行かず、お酒ばかり飲んでいる生活。起きるのは毎日夕方で、ひどいときは3日間ベッドの上で過ごしたり。そんな状況でしたので、当然留年ということになります。留年にしたにもかかわらず、周りがみんな大学院に行くという"ただそれだけの"理由で大学院入試を受けました。そして運よく受かったのですが、それで気をぬいてしまい、気がつくと2留がさけられない状況になってしまいました。
出谷:今では絶対通用しないことで詳しくは話せないのですが、何とか、奇跡的に、おこぼれで窮地を脱し、あとは卒論を出すだけだったにもかかわらず、その卒論を期限の時間までに出せなかったのです。今振り返っても、本当に最低だったなと思います。それが23歳のときです。23歳といえば、みなさんは卒業していますよね。みんなが社会人1年目のときに、私はこういうことをしていたわけです。
そのとき、たまたま母親から電話がかかってきました。「どうや、あんた頑張ってるか」と。「もしかしたら2留するかもしれん」と話していたので、心配してかけてくれたのでしょう。私はキャンパスにいたのですか、自分自身への情けなさに堪えることができずに、そこで号泣してしまいました。
ここまで周りの人に迷惑をかけ、助けてもらっていながら、「俺は何をやっているんだ」と。自分が情けなくて、情けなくて、しかたがありませんでした。
「自分の人生には価値がない」23歳からの再スタート
出谷:自分の人生には価値がないなと、自分自身に辟易して、号泣して。そこからです。ちょっとまてと。18歳までは、部活も勉強もがんばって、コツコツと努力していたじゃないかと。どうしてこんな状況になったのかと。
もう一度、とりあえずやれることをやろう、目の前のことに、真摯に、真面目に取り組もうと決心しました。23歳からの再スタートです。それからは研究に打ち込んで、多い日には毎日15時間、もうとにかく歯をくいしばってやりました。就活するときは、就活もがんばって。ときには研究室から帰って、深夜から朝まで学生団体をかけもちして、のちにエンカレッジにつながる新しい活動をやったり。信じられないかもしれませんが、そこから急激に変わったのです。
それともう一つ、就職活動を機に変わるきっかけがありました。やっとできた目の前のことに本気で取り組むという目標に加えて、就職活動で問われた「どうなりたいのか、志はなにか」という言葉です。正直最初は、これまでもちろん考えたこともなかったために面食らいました。2、3日眠れない夜が続き、その後ようやく結論が出ました。地元神戸を立て直せる人間になりたい、という結論です。
私は6歳のときに阪神淡路大震災を体験しています。それから復興、復興、復興と言われて育ちました。そのことが大きく影響しているのだと思いますが、神戸を元気にできる人になりたいという気持ちが膨らんでいきました。
そうなってくると、会社で偉くなるとか、社会的地位を獲得するとか、年収を上げるとか、そういういったことでは目標は達成できない。神戸を支え直せる、立て直せるような人間になるために生きよう。そう決意したのが大学院のときで、結果的に大学院を辞め、エンカレッジをつくったんです。
「人を育てる」だけでは限界がある
出谷:研究もがんばって特許も取れましたし、それぞれやっていることに結果がついてくるようになりました。でも意識したのは、目の前のことに必死になること。ほかの人より努力するという一点だけです。
そして26歳のとき、エンカレッジが大きな問題を抱えて、転覆の危機にありました。私がサラリーマンとして2社目の会社にいたときでした。エンカレッジが、つぶれるかもしれない。誰かが責任を持たなければならないという状況に追い込まれて、それで起業することにしました。
エンカレッジの活動は全国規模で、徐々にスローガンは「神戸」から日本の「国力」というふうに変わっていきました。みなさんに対して、こういうふうに話をしている今もそうですが、日本全国でエンカレッジを通じて多くの大学生と話をしていると、「日本を変えていこうとするのであれば、絶対に若者の力が必要だ」と日々感じるのです。そういうところをキャリア教育という領域で、日本全国で統一的にやっていこうという夢が、どんどん明確になっていきました。
出谷:すると今度は、人を育てるだけではダメなのでは?という疑問が湧いてきます。 人を育てた先に、育てた人が活躍して世界をめざしていくための「船」が必要なのではないかということです。
みなさんのような若い力を育てて、じゃ君はA社に、君はB社に、あなたはC社に、あなたはD社にと送り出す。それで結局、それぞれの会社に行って、どんな経験を積んで、どんなことをやっていくのか。はっきり言うと、そんなことは分からない、コントロールできない。せっかく育てたとしても、私にはその後の責任を持つことができません。であるならば、会社としても世界でシェアがとれるような産業、事業ドメインという領域に投資をして、それも育てていこうと。それでAIとかIOTといった領域にも力を入れているわけです。
そこで必要になるバリュープロポジション、自社の強みをつくるということにおいて、現在の日本ではそういうエンジニアが不足しているという現実がある。そこで専門性をもったエンジニアを、世界中から採用しているわけです。海外のエンジニアが多くなるのであれば、当然日本語でコミュニケーションをとることが困難になる。だったら、社内の公用語を英語にすればいいと。理由はシンプルなのです。
18歳の時に明確な目標を持っていたら…という後悔
出谷:最後は、また自慢話みたいになってしまいましたが、お伝えしたかったのは、もともと何もかもが順調で、挫折もなくここまでやってきたわけではないということ。今30歳ですが、がんばったのはここ6年くらいです。その前までは、本当にダメ人間でした。みなさんがこれからすごす4年間というのを、まるまる無駄にしたのです。その4年間は、戻ってきません。
もし、私が18歳の時に明確な目標を持っていたら、とちょっと後悔するときもあります。もちろん、その無駄な時期があったから、今があるのかもしれません。でもその4年をがんばっていたら、30歳の今、もっと世界でシェアがとれるグローバルなサービスをつくれていたかもしれない。みなさんの前で、現在これくらいのシェアが取れていますという報告ができたかもしれない。
みなさんの未来は明るいですよ。こんな私でも、丸6年でここまで来ましたから。ですから、目の前のことに集中して、何でもかまわないので、今日も1つ積み重ねたなというものをつくってもらえればと思います。
それでも「目標を持とう」と言う理由
出谷:それではここまでのことを簡単にまとめましょう。
組織から目標を与えられていた安定期。その目標が与えられなくなって生きる活力を失った暗黒期。そして、もう一度目標を設定しなおし、目の前のことをちゃんとやろうと教授から求められたこと、組織から求められたことに、一つひとつ真摯に取り組むことで回復しました。だんだん夢が大きくなってきて、背負うものも大きくなれば、さらにドライブしていきます。
今日、これからやる「キャリアプランニングシート」や「キャリアアンカー」と言ったワークも、ここから自分なりの答えが出てくると思います。なりたい姿から逆算して設計していくものなので。ちょっと簡単にやってみましょう。
1つ目が「目標を持とう」ということです。
目標といっても、大それたものである必要はありません。このテストで100点取ろうとか、何でも良いのです。一つ一つ、自分でやらなければいけないことをやるんだと決める。それだけです。僕の場合は目の前に与えられたことを全部100パーセント、いや150パーセントこなしていくんだという気概を持つことでした。
出谷:では、どうしたら夢や目標って生まれるのか? 2つ目に伝えたいのが、「夢や目標は行動から生まれる」ということ。誰も与えてはくれないんです。待っていると、永遠に見つけることはできません。ですから、いろんな場所に行ってみてください。行動してみてください。結果が出なくてもいいのです。自分の世界を広げて、いろいろやってみてください。これは好きだな、魅力を感じたなというものがあったら、それをいったん、仮の目標にしてみるのです。これまでであればやらなかったようなことを、ぜひやってみてください。
3つ目は「やりたいことは、降ってこない」ということ。
先ほどエンカレッジの話をしましたが、全国70大学くらいの就活生がサービスを利用しているのでいろんな人に会うのですが、全国どこの大学生でも共通してやりたいことがあるかというと、そういうものはないのです。
だから、自分と向き合って、どんな人生を歩みたいかを、各自一人ひとりで考えて目標や夢を設定してください。あなただけの目標や夢でいいのです。
「自分が変わる日」は、自分で決められる
出谷:そして、最後に伝えたいことが「人は、いつからでも変われる」ということ。
変わる日は、自分で決められるのです。自分の人生だけは、自分で作れる。目の前のことに集中して、小さなことの積み重ねを続けることで、人生に奇跡を起こすことができるのです。最初に私が自己紹介しているのを聞いて、この人キラキラしているなと、一瞬、思ってくれたと信じています(笑)。
でも、私がみなさんと同じ18歳のときから、実際に社会に出る23歳くらいまでの話を聞いてどうでしたか? みなさんも驚くほどのダメ人間だったのではないでしょうか? みなさんがこれから過ごす「4年間」をまるまる無駄にしたのですから。
それでも、変われるのです。そこから丸6年で、新規事業とか、みなさんのなかにもちょっと興味ある人もいると思うのですが、起業もして、会社を2社立ち上げて、多国籍軍をつくって、IT、AIを活用して世界を目指せるんだ、と。取引先もソニーやトヨタとか、そのような大企業とも対等に仕事をしていけるのです。実際にそうなっていますから。
ぜひ、夕方起きて、お酒を飲む生活ではなく、何でもいいので、「今日も積み重ねたな」という毎日を送ってくれたらなと思います。こんな私のキャリアパスを最後まで聞いていただきありがとうございました。
「未来の自分」を描けない人は、どうすればいいか
田中研之輔先生(以下、田中):こちらこそ、ありがとうございました。では、せっかくですので、全体から質問を受けてもいいのですが、出谷さんにはもう少しお時間をいただけることになっています。会場をまわっていただくので、ワークをやりながら個別に質問がある人は手を挙げてください。それでは、最初のワークはキャリアプランニングシートからいきましょうか? ちょっと書いてみてください。
出谷:「理想だと感じているキャリアモデルや社会人の例」のところで、「興味を抱くキャリアプラン」というのがあります。これはどういうものかと言いますと、それが実現できるようなキャリアプラン。私の場合ですと、IT系ベンチャーに入社して、知り合いの社長にヘッドハンティングされ、新規事業の立ち上げを任されて、それを達成した後に起業する、といったように。これがキャリアプランになります。事業創造を軸にしたキャリアプラン。一段一段登っていく階段みたいなものです。
出谷:今、「ありたい姿」のところに「感謝されたい」と書いている人がいますが、感謝される人というのは、どんな社会人でしょうか? 自分がどんなキャリアを歩んで、どんな仕事をしていれば、感謝されるだろうかということです。
どんな組織とか、どんな会社でといっても、みなさんはまだ就活されてないので、分からないと思いますが、想像してみてください。難しいかもしれませんが、たとえば感謝しあう文化がある会社や組織で働いていれば、感謝されますよね。
その次にそういった感謝しあう文化がある会社や組織を、あなたが良いと思った理由は何なのか。良いと思った理由に対して、本当に自分には、過去にそういう経験があっただろうかと、そういうところを思い出して埋めてもらえるといいかなと思います。
出谷:「未来の自分」のところに関していうと、それを実際に自分が主体的に動かしている状態というのが今の「ありたい姿」になります。次に、「やりたいこと」というのは何かいうと、私の場合は、世界に通じるようなシェアがとれるようなサービスをローンチすること。たとえば私たちがグーグルにお金を払うと、日本のお金が海外に流れるわけですが、反対に世界が日本のサービスにお金を払ってくれる状態をつくればどうなるか? それが私のやりたいことです。
「欲しいものやステータス」というところでは、それを実際に実行できる、国を率いるような、まあ、首相になれるような社長だったりとか、そういうリーダーシップや能力を手に入れないといけないですし、世界に広げるサービスを実行するためにはお金も必要ですので、資金力もつけなければならないということになります。
田中:質問いいですか? 「未来の自分」が書き進められない人には、どこからどういう作業をすれば言語化できるというのはありますか?
出谷:「未来の自分」が書き進められない人は、「ロールモデルを探す」というのが割と分かりやすいやり方だと思います。Aさん、Bさん、Cさん、Dさんがいるとします。Aさんを自分の親だとします。自分の親であればどんな仕事をしているかわかりますよね。たとえば私はいま起業家として仕事をしていて、これがBさんです。そしてCさんは、田中先生ですね。教授として大学でこうしてキャリア論に基づく実践的教育メソッドで後進を育てながら、社会学者として活躍されている。最後のDさんはというと、知り合いの先輩です。
商社に入って高年収で、六本木で合コンしています。たとえばですよ(笑)。この4つのロールモデルを知ったうえで、どの人生に一番ワクワクするか。どの人生だったら自分も歩んでみたいかというふうに考えると、見えてくるものがあると思います。
田中:なるほど、ロールモデルですね。ありがとうございます。みなさん、今日のワークいかがでしたか? おそらく、まだみなさんには、キャリアプランニングシートのほうは、難しかったかもしれません。
でも、このライフキャリア論の授業を通して、これからいろいろなワークをしていきますので、このプリントは、ぜひファイルに入れて取っておいてください。なるべくこれが書き込めるようにしていきましょう。
田中:そしてキャリアアンカーですが、この言葉は、キャリアデザイン学部の人には絶対知っておいて欲しいのですが、エドガー・シャインというキャリア理論の巨匠がいます。そのエドガー・シャインが書いた『キャリア・アンカー』という本を、今後の授業で解説していきます。なので、キャリアアンカーという軸をみんなに持ってもらうように、なるべくこのワークを7月中旬くらいまでにできるようにして、出谷さんが渡してくれたパスを形にしていきましょう。
それでは時間になりましたので、最後にもう一度、出谷さんからみなさんにメッセージをいただきたいと思います。それでは出谷さん、よろしくお願いします。
出谷:ありがとうございました。このように大学のなかで話をするのは、今日が初めてなんです。実はですね。私は、大学4年生になったときに一度、ちゃんと授業に行っておけばよかったなと思ったことがありました。多くの学びがあったのに、私はその機会を自ら捨てていたので。こうやって、色々な人の話が聞ける機会というのは、みなさんにとって、すごくいい経験になると思います。
大学院の先生には「キャリアとか知らねえよ、お前は化学の研究者になれ」としか言われてなかったので、こうやって多様な価値観を与えてくれる田中先生のような方と時間を過ごせるというのは、本当にうらやましいです。
ぜひ学んで、すごい大人になってください。
前後編でお送りしたエンカレッジ創設者・出谷昌裕さんの法政大学での講義、いかがでしたか? 今後エンカレッジでは、大学におけるキャリア教育支援にますます注力してまいります。他大学での講義やセミナーもレポートしていく予定です。
(松隈勝之)