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世界で活躍するクリエイター、中村氏の感じた社会課題と解決策

今回は「LEAP」の1セッション「学生ピッチ」の内容をお届けします。登壇したのは、地方創生会議ファウンダー、小幡和輝(おばた・かずき)氏、株式会社manma代表取締役、新居日南恵(におり・ひなえ)氏、株式会社DAN NAKAMURA 代表、中村暖(なかむら・だん)氏。 学生時代から事業に取り組み、20代前半にして大きな成果を出す3名は、どんなキャリアを歩み、どんな風に行動し、成果を出して来たのでしょうか。皆さんと同世代の3名からのメッセージを、ぜひ学びにしてください。

若くして世界で活躍 クリエイターDAN NAKAMURA

井上:では3人目、株式会社DAN NAKAMURA代表、中村暖くんですね。よろしくお願いします。どうやらニューヨークで展覧会をするそうですね。

中村:そうなんです。自分の作品の展覧会を2月に開催します。チャンスは世の中にあふれてるんだなと思いました。

井上:すごく偶然だったとか。

中村:僕はTwitterとかInstagramとかで、自分の作品の写真を載せているんですね。そのSNSのつながりが、繋がり、繋がり、繋がり、今回のチャンスに至るというわけです。

井上:すごいつながりですよね。

中村:SNS上にあげる文章や写真は、いかにこだわるべきか学びました。変なもの出せないなと思う一方で、チャンスでもありますよね。

井上:本当にすごいですね。それでは暖くん、発表をお願いいたします、

中村:改めまして、株式会社DAN NAKAMURAの中村暖です。僕は、ジュエリーのデザインをしています。

僕は、月火水は、広告会社でデザイナーとして働き、木金は自分の会社で製造業や広告の仕事をしています。そして、土日は大学院に通う。そんなweeklyキャリアみたいな形で生活しています。曜日ごとに生活スタイルや、名前の表記を変えて働いています。

広告会社ではカタカナのダンナカムラとして。自分の会社ではDAN NAKAMURA。そして土日は漢字の中村暖。

表記を変えながら、三人の暖さんを生活しています。

広告会社ではアートディレクションという、デザインを構想したり、 クライアントさんが作りたいグラフィックを作ったりする仕事をしています。

自社では、バッグやジュエリーを制作しています。

大学院では、素材の熱分解や解体、熱加工といったことを研究したり制作したりしています。

僕の作品の一つに、ビニール素材でワニ革を作っているものがあります。それは大学院で素材の開発をして、自社で製品化をしている。それぞれの暖が協力しあって作り上げた作品ですね(笑)

例えば、その素材で制作したバッグ。バッグに傷がついた、黄ばんでしまった、汚れてしまったら、熱加工をすることで、もう一度新しいワニ革になってバッグになる。そんな風に、一生捨てないサイクルの製品を作ったりしています。

なんでジュエリーにこだわっているかというと、16歳の時に世界を一周する機会があり、それがきっかけです。

ちょうど行ったのが2011年の3月で、僕は東日本大震災のとき、イスラエルという国にいました。

イスラエルってテロのイメージがありますよね。実際もそうで、イスラエルを出た次の日には同じ場所でバスの爆破テロが起きていたりしました。

他にも、タイの貧困地域に行ったら、本当に地面で寝ている人がいて、今まで教科書で見ていた光景が広がっていて衝撃的な世界一周でした。

その頃、ちょうど新しいiPhoneが発売された時期だったので、 僕も世界一周にiPhoneを持っていき、そこで目にしたものを撮影して、ブログで発信したりしていました。

すると、僕の友達がそのブログを見ていたんですね。

「暖がブログで写真載せてるの見たよ、本当にテロって起きてるんだね、本当に貧しい人がいるんだね」って連絡がきたのですが、ただ、その次には「ていうか聞いてよ、iPhone落として画面割れて最悪だわ」ってコメントがきたんです。

僕はその現象に衝撃を受けました。

iPhoneで見てる画面って誰かがすごく悲しんでいる光景なはずなのに、そんなことはどうでも良くて、友達はiPhoneが割れたことが悲しいと思っている。そのギャップに疑問を抱いたんです。

でも、どうやったらその悲しさ、心のモヤモヤが解消できるのかがわからない。

そんなことを考えながら、大学に進学しました。

「価値を上げるデザイン」に挑戦

中村:大学は、京都造形芸術大学というところに通っています。僕が学んでいるのは空間演出デザイン学科というところです。

簡単に言えば、人間に一番近い空間をデザインすることで、人間の感情を変えたり、何か影響が与える、ということを考えています。

それを考えた時に、今自分たちが身につけているものってどう構成されてるのか考えました。そうすると、資本主義経済の影響で、安さを追求しすぎて環境に悪影響を与えている製品や、悪い労働環境で働いている人が生まれているなど、マイナスのサイクルがあると気づきました。

そういうマイナスのサイクルが、自分たちの一番近い空間にひっそりと潜んでいる。それをどうやったら解決できるのか考えたときに、

僕の興味のあったジュエリーを「透明にしたい」と思ったんです。生産背景や製造システムなどを見える状況にした時に、その過程で、誰も悲しんでいない状況にしたい。

具体的な例を挙げると、リサイクルジュエリーというものがあります。全国各地の工場の廃棄物を集めて、それらを溶かしたり、磨いたりして、ジュエリーにしています。

一般的にリサイクルというと、洋服を雑巾にするような例が思いつくのではないでしょうか。 このリサイクルって、使用価値を洋服から雑巾へ下げているんですよね。

リサイクルジュエリーというものは、ゴミからジュエリーへ、価値をあげているんです。 価値をあげるデザインというのにずっと挑戦しています。

例えば、「爆弾をジュエリーにする」という取り組み。ラオスという国に行きまして。

地雷が埋まっている村に行き、少数民族のモン族っていう人たちと一緒に地雷や不発弾のリサイクル金属を現地で溶かして、ジュエリーを作りました。

「爆弾の価値を上げる」は一つの象徴的なメッセージだと思っています。爆弾のようなマイナスのイメージがあるもの、ゴミのように無駄になってしまっているもの、その価値をあげる、というのが僕のやりたいことなんです。

そうした活動から、社会の問題に少しでも目を向けてほしい。

同様に、プラスチックの価値を上げるプロジェクトもやりました。ペットボトルやビニールなど、透明だけどすぐに捨てられてしまうものに、最高級のイメージであるワニ皮、クロコダイルの価値を付与する。

そんなことをやっています。

誰かのステータスになれる人間を目指す

中村:そんな風に、これ作りたいというものが沢山あります。

ふと正月帰省した時に自分の本棚を見ていたら、小学校一年生の時に書いた文集があったんです。

「大人になったら焼き物を作る人になりたいです。お皿や花瓶を作りたいです。星も作りたい。お花も作ってみたい。」かわいいですね(笑)

「魚も作ってみたい、蝶々も作りたい。」小学一年生の時から、色々作りたかったみたいです。

「上手に作れるといいです。お母さんが、上手にできたねと行ってくれると嬉しいです。そして、お母さんがお店を開きます。その裏が僕の工場です。先生来てください。」

なぜこれを紹介したか。僕の株式会社の登記は、地元の佐賀県なんです。

ニューヨーク、東京の表参道とか、いろんな所にジュエリーを展示したり、販売したりしてるんですけど、会社の拠点は結局佐賀県なんです。

よく考えると、小さい頃に考えていたものが、大学院1年生の今になって、実現できているんです。ワニを作りたい、爆弾をジュエリーにしたい、そして今も作りたいものはたくさんあるけど、今考えると、実現している。

さらに僕が挑戦したいことを話すと、自分が50歳になったら、自分の美術館を持ちたいと思っているんです。その理由が、自分が作っているものとかに限らず、いろんな思ったことも全部展示したい。

例えば今日も、22歳で登壇して、めっちゃ感動したってことを飾るかもしれない。

それがなぜかというと、僕は誰かのステータスになりたいと思っているんです。

僕はワニ皮を作る、爆弾ジュエリーを作る、いろんなものを作ってきたけど、それは自分一人じゃ作れないんです。今このワニのジュエリーを作ってくれる人を計算したら、84人の方が携わってくれているんですよね。

その84人にとって、中村暖と携わったとか、中村暖に協力してもらいたいって言われた、それ自体をステータスにできたらなと思うんです。

お金じゃ無いと思うんです。「暖くんから頼まれたんだよね」って嬉しそうに工場の人から自慢してくれるぐらい、誰かのステータスになりたいと思っているんです。そこまで大きくなって、誰かのステータスになれることが恩返しだと思って、デザインの仕事をしています。

最後になりますが、自分の制作スタイルを表している言葉があります。

「僕は、僕だけでは作っていないけど、僕だけしか作れない」、これを大事にしています。

84人のたくさんの人に協力をいただいている。だけど僕にしか作れないっていうのを大事にしながら、何かを作ることに一生懸命になっていますし、これからもそうしていきたいと思います。

以上、ありがとうございました。

7カ国に事業を広げる、中村氏の選択

井上:さっきのVCのセッションで、どういう会社、どういう社長に投資したいかという話を皆さんも聞いていたと思うんですけど、登壇いただいた3人は全部それに合致しているんじゃないでしょうか。

きっと共感してもらう力も強いし、応援したくなる。そのワールドに一緒に携わってみたくなる。そういう力を持っているなと感じましたね。

質問ですが、プレゼンの途中で、16歳でたまたま世界一周できる機会があったと、さらっと言いましたけど、それはなんでできたんですか?(笑)

中村:僕が住んでいた佐賀県に、「グローバル人材育成、未来の佐賀県を担う人を世界に」という企画が偶然一回だけあって、それに応募して行かせてもらいました。

井上:そうなんですね。そこで行動した結果、感じ取ることがあり、その感じたことからまた次のアクションに繋げてるわけですよね。

それは自然にできているんでしょうか?

中村:うーん。シンプルに、携わる人が多くて、たくさんの人に応援してもらっているから、プレッシャーでもあるけど頑張れる、みたいな感じだと思います。

逆にいえば、みんなの期待を超えなきゃいけない。そんなこともあってアクションしていますね。

井上:そういう環境に自分を持っていったんですね。

あとは、1年生の時の文集がありましたよね。それを聞いて一つお話をしたいのが、 子供の時って、自分がなれるかなれないかって一ミリも考えないですよね、ということです。

「どうせ俺には無理だよ」「資格取ってから」「もっと実力つけてから」とか言わないで、将来なりたい姿や、やりたいことをどんどん並べますよね。

そんな風に無邪気に大人になっていくと、この3人みたいに挑戦できる人になっていくんじゃないかなと思います。そういう意味で何か、真理を表している素敵な作文だなと思いました。

先ほど、自分にとってのLEAPでいうと、50歳の時に美術館を作りたいという話がありましたよね。

それまでの間に、たくさんやりたいことがあると思いますが、具体的にいくつか共有してもらえますか?

中村:実は今、スポーツをしたいなとおもっていて。さっきのセッションでもスポーツベンチャーってありましたけど、スポーツ×デザインも凄く面白い領域だと思うんです。それを勉強しに行きたいというのがありますね。

あとは、就職という選択肢だって無くはないなと思っていて。今大学一年生ですから、まさに就活の時期ですけれども。

自分が作りたいものを実現していく中で、世の中も変化していきます。だからこそ自分も変わらなくちゃいけない。逆に、自分の作りたいものを変えないために、変わっていくことを求められているのかなと思うんです。

新たな世界に飛び込んで成長するために、就職するのもありかなと思っていますね。

井上:そうなんですか。でも、2020年にオリンピックというチャンスがくるから、あと1年半の間に、スポーツ×デザインにぜひ挑戦してほしいなと思いますが。

中村:確かにいくつか考えていますね。

井上:そして今年は結構世界に出ていく年でしょう。

中村:世界イヤーですね。イギリス、台湾、イタリアに。全然外国語は喋れないですが(笑)

井上:英語が喋れなくても、グローバルで広げよう、7ヶ国語で発信しようって動いているんですね。

中村:そうなんです!僕のホームページは、韓国、中国、フランス、英語、イタリア、スペイン、ウルドゥー語、パキスタンの7言語対応です!

井上:これからのDAN NAKAMURAの動きには目が離せません。皆さんぜひTwitter、Facebook、フォローして見てください。