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AI時代に求められる人間の生き方とは【京都大学総長・山極壽一】

30年後の「エリート」とは、どんな人物なのか。未来をリードする人材のあるべき姿を追究するオリジナル連載、今回はゴリラ研究の世界的権威にして京都大学総長の山極壽一(やまぎわ・じゅいち)先生です。シリーズ第2回では、2050年の社会予想を踏まえながら、求められる未来のエリート像について語っていただきました。

2050年の世界への危機感と期待

―2045年に起こると言われるシンギュラリティについて、どのようにお考えですか?

山極:AIが人間の知能を凌駕する、そうした事態は確かに起こりうるでしょう。ただ、AIがどう頑張ったところで、AIには理解できないものが残ります。そもそもデータ化されない事象をAIを扱うことはできないわけで、それは2つあります。

1つは人間関係です。恋愛や出産などを契機として、新しく発生する人間関係についてのハウツー本が、大量に出版され続けているのはなぜでしょうか。人間関係については、正解がないからです。

生身の人間は誰もがオンリーワンの経験値を持っているから、相手を100%理解することなどないという前提で、人間関係は結ばれます。いわば曖昧さを前提として構築される人間関係は、AIには理解できない世界です。

―もう1つ、AIに理解できないものとはなんでしょう。

山極:死後の世界です。これについてもデータなどありません。けれども人間にとって死後の世界は、決定的に重要です。

「ヒト」はおそらく、死後の世界を考え始めたときに「人間」になったのです。動物も死を恐れはしますが、死後の世界に思いを巡らすことはありません。これに対して、人間は、死を前提として生きる生き物です。

この先AIがどれだけ進化するとしても、人間関係と死後の世界を理解することはないでしょう。一方で情報処理に関しては、AIが人間を代替していくのも間違いないと思います。

―人間とAIの住み分けが求められますね。

山極:いま私が将来について真剣に心配しているのが、人間の劣化です。AIの進化により人間は考えること放棄しかねません。ネット通販などがその良い例で、ウェブサイトで何かを買えば「あなたには次に、この商品がおススメです」と表示してきます。

「あぁ、そうかあ」と思った瞬間にボタンを押すだけで商品が届く。こうして人間は考える必要がなくなり、自分の快楽だけを追求するようになりかねない。

―インターネットがなかった時代をご存知の先生から見て、今の社会は昔とどこが違うのでしょうか。

山極:情報通信環境が劇的に変化しました。スマホが登場してから10年が経ち、あと数年もすれば、ものごころついた頃からスマホを手にしていた世代が大学に入り、やがて社会に出て労働を担うようになります。

彼らは他人と、どのように交流するでしょうか。今の学生でさえ既に、スマホなしでは他者とコミュニケーションできない。

仮に何もかもをスマホで済ませるようになるとすれば、自分の頭で考えて結論を出すよりは、すぐに仲間と相談したり検索結果を鵜呑みにする。自己決定力が著しく衰えるのではないでしょうか。

身体性の重視が人類を救う

―コミュニケーションツールの変化が、人間そのものを変質させるリスクがあると?

山極:コミュニケーション形態が変化するからといって、人間が生物をやめるわけではありません。生物であり続ける以上は、身体を意識しなければならない。身体を維持していくために必要な時間があり、これは脳で考える時間と相対立する可能性が高い。

実際にそういうミスマッチが起こっている。身体性をないがしろにして脳の欲するままの食生活や行動を取るようになった結果、糖尿病などの生活習慣病が増えているのではないでしょうか。

―生物としての身体性を再認識すべきですね。

山極:脳もいずれ、AIが追い越すでしょう。すでに計算や記憶に関しては、AIがはるかに優れています。この先懸念されるのが、人間にとってブラックボックス化したAIが、さまざまな自動化を担い始めている状況です。

飛行機の操縦などは、既にほぼ自動制御となっています。今後、IoTが普及してあらゆるものがネットワークでつながり、自動運転のクルマが多く走り始めたときなどが心配です。

万が一、自動制御網のどこかで不具合が起き、それが暴発的な連鎖反応を起こしたとき、果たして人間はブラックボックス化したシステムを制御できるのでしょうか。大カタストロフィが起こるリスクを真剣に考えるべきです。

―何も考えずに済むことには、とんでもない落とし穴が潜んでいると?

山極:2050年の人間は、今よりもっとバカになっている可能性があります。個人の生活そのものは、どんどん豊かになるようにシステム構築が進むでしょう。

人は私利私欲に従順に従い、限りなく利己的になる。自分の時間と労力は、自分の利益になる行為だけに使う。

これまでの世の中では、自分を犠牲にして何かをすることで、お互いが幸せを感じることができました。ところが、現状のままで突き進んでいけば、2050年には人は利己主義を突き詰めることになりかねない。

本来、人間にとって最も幸せなのは、他者と身体性を通してつながり合っている状態だったにもかかわらず、それが顧みられなくなる。そうした事態を避けるために、リーダーとなりうるエリートが出てこなければなりません。

2050年のエリートに求められる役割

―まさに新しいリーダーが求められるわけですね。

山極:リーダーに求められる資質は2つあります。他者を感動させる力と、危機管理能力です。

他者を感動させるから、まわりからリーダーに担がれるのです。おれが、おれがと自己主張するような人物は、決してリーダーではありません。

また危機管理能力として必要なのは直観力です。データを元に頭で考えるのではなく、100%正しくなくとも、致命的な間違いだけは犯さない直観力です。

―従来型の「リーダー」とは異なるイメージです。

山極:あいまいなことを、あいまいなままに留めておけるのが人間の知恵なのです。いくら正解を求めても、唯一の絶対解など得られないケースが多々ある。

その典型が人間関係でしょう。ただ、正解にたどり着かなくとも対処はできるのです。

その対処法であるダイアローグに長けているのがリーダーであり、これは常に絶対解を求めるAIにはできない芸当です。

―身体性とAIを、どのように使い分ければよいのでしょうか。

山極:あいまいさを寛容する身体性を再度認識した上で、AIを使いこなせるようになれば面白い社会が期待できます。

今後さらに進むネットワーク社会では中心ができないし、階層性も希薄になります。そういった世界では、誰か一人が絶対的なリーダーを務める必要などありません。複数のリーダーが状況に応じて、その場で求められるリーダーシップを発揮すればいい。

個人の生き方も単線型から複線型へと切り替えるべきです。今は定年後のセカンドライフが言われていますが、もっと早い時点、それこそ10代から複線型の人生を意識して生きていくのです。

データ依存から脱却し、複線型の人生を歩め

―複線型の人生とは、どのような生き方なのでしょう。

山極:ICTやAIを活用して生産性が高まれば、人には時間的余裕が生まれます。そこで例えば住民票を2つ持ち、2つの地域で暮らす。働く場所とそうではない場を切り分ける。人と人が身体的につながり、創造的で楽しく暮らす場を設ける。

仕事は都市で、創造は地方でといった切り分けを行い、身体性を通じて他者と時間を共有する。そんな暮らし方で、自分の世界を広げるのです。

―未来への希望が見えてきました。

山極:まずはデータから脱出せよ、と言いたいですね。デジタルではないアナログの重要性を考え直したほうがいい。

アナログが意味するのは時間の連続性、すなわち時間が紡ぐものの大切さを見直すべきです。そうした価値観で社会をリードし、ファシリテートしていけるのが、2050年のエリートだと思います。