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【社会起業家】 障害のない社会を作る、LITALICOの取り組み

今回は「LEAP」の「社会起業家セッション」の内容をお届けします。登壇したのは、株式会社LITALICO 代表取締役社長 長谷川敦弥氏、認定NPO法人カタリバ 代表理事 今村久美氏。若くして社会起業家として大きな成果を出すお二人は、なぜ社会起業に関心をもち、継続して成果を出すことができているのでしょうか。社会起業に興味がある方だけでなく、これから何かにチャレンジしようとしている方も、ぜひ読んでみてくださいね。

24歳にして社長に。社会から障害をなくす、株式会社LITALICO長谷川氏のキャリア

green佐藤:学生イベントはおろか、パブリックな場所になかなか出てこないお二人をお迎えしておりますので、早速ご紹介していきたいと思います。 まず手前の方からLITALICOの長谷川敦弥さんです。よろしくお願いします。

長谷川:よろしくお願いします。

green佐藤:お隣がカタリバの今村久美さんです。

今村:よろしくお願いします。

green佐藤:実は僕自身、古いお付き合いのお二人なのです。ちょうど今日、お集まりいただいている皆さんと同じぐらいの歳の時に、僕はお二人に出会っているんですよ。そして、今も時々会うんです。

でも、最近どんな仕事をしているか改めて聞く機会がなかったので、今日は皆さんと同じような気分で僕が色々聞いていきたいと思っています。

別に意見をまとめる必要はないと思っていますし、価値観も統一しようとは思っていません。「こういう人もいるんだな」ということを知っていただき、「俺はそう思う」とか「私はそうは思わない」など、率直に感じて欲しいなと思っています。

それではまず、長谷川さんから最近のご活動も含めてご説明いただきたいと思います。お願いします。

長谷川:皆さん、こんにちは。LITALICOの代表をしています、長谷川と申します。

僕は人口1万人ぐらいの岐阜県の多治見市、笠原という小さい町で育ってきました。

大学は名古屋大学理学部で数理学を専攻しました。卒業論文ではGoogleの検索エンジンのアルゴリズムの読解をテーマに取り上げ、読解できませんでしたっていう論文を出しました(笑)そんな大学時代でしたね。

そして新卒でLITALICOに入社しました。実は僕はLITALICOの創業者じゃないんです。ただ、1年経ったら社長に抜擢されていたという、ちょっと変わったキャリアです(笑)

当時、29歳だったLITALICOの社長が、24歳の僕にいきなり100人の会社のバトンを渡したんです。おかげさまで、今では2000人近くの会社になっています。

みなさん、社長を交代する場面ってどんな場面だと思います? 僕、子供の頃からずっとテレビを見ながら育ってきたので、社長の交代を告げられる場面っていうのは料亭だと思っていたんですね。料亭で、日本酒を酌み交わしながら「頼んだ」みたいな、そんな感じかなと思っていました。

でも、新卒2年目のとある日曜日に、創業者の方から電話があって「敦弥くん、大事な話があるからここに来てほしい」と、呼ばれた場所が、皆さん『てんや』って知っていますか?

1杯500円ぐらいの天丼屋さんに呼ばれて、先に店に居て、一番安い天丼が既に注文されていて。そこで、2人で天丼を食べながら「来月から社長を変わってほしい」という話をされたのが24歳の時でした。

LITALICOは今2000人近くになってきて、おそらく、障害者の方の支援をする会社としては初めて東証一部にも上場させていただいている会社だと思います。

非常に良い流れだと感じているのは、日本の中でも社会的に意義のあることをしたいという若い人が非常に増えている点で、現在、LITALICOは新卒と中途合わせて年間約35,000人の応募があるという状況になっています。そして、その中でだいたい200人から300人ぐらい採用しています。

「障害のない社会を作る」その原点とは

長谷川:次に事業の説明をできればと思います。

我々が事業としてやってきていることは、「障害のない社会をつくる」ということです。我々は、あくまで障害っていうのは社会の側にあると考えています。例えば昔から、視力が悪く、見ることに困難がある人はたくさんいますよね。ただ今は、眼鏡やコンタクトレンズが社会の側にできたことによって、見ることの困難は随分軽減されました。

同じようにして働く困難や、学ぶ困難、移動する困難など、色々な困難がありますが、そういう困難を解決するようなプロダクトやサービスが、社会の側にあることを当たり前にしていったら、障害のない社会ができるんじゃないか。そして、そういう社会ができたら、障害者だけじゃなくて、もっと多くの人が多様な生き方ができ、幸せな社会になるということを考えて事業をやっています。

LITALICOの事業のはじまりは、LITALICOワークスという障害のある方の就労支援サービスです。今では年間で1000人くらいの方々がLITALICOワークスから企業への就職を果たしています。

そして現在、主眼を置いているのは教育です。なぜかというと、この就労支援サービスをやってきた中で、一番の利用者の方は精神疾患の方、例えば統合失調症の方々です。幻聴が聞こえる、幻覚が見えるという病気ですね。例えばそこに怒ったおばちゃんが立って睨んでいるから落ち着かないとか、周りの音が自分の悪口に聞こえてきたりする。

僕は最初にこの病気を知った時に、確かに「日常生活に支障があるな」と思いました。 そして「なんで彼らが、精神疾患になったんだろうか」ということを見ていこうと、ある方にインタビューしたら「18歳の時に発症しました」とおっしゃいました。「なんで発症したと思いますか?」と聞いたら、その方は「僕は正直ストレスの限界でした」と。

「何がストレスだったんですか?」と聞くと、「小学校2年生から僕は、ずっと勉強がわかりませんでした。わからない状態で日本の教育って学年だけ上がっていくじゃないですか。その中でクラスメイトからもバカにされ続けたし、親からもお兄ちゃんと比較してバカだと言われ続けて、中学の時に親を殴りました。

高校生の時に親から虐待を受けるようになって、街中を歩いていたら、街中の音が自分の悪口になって聞こえたんです。」ということを言っていました。

このとき、彼にとって一体何が障害だったのかと考えた結果、彼に合った教育が社会の側になかったということこそが障害だったんじゃないかという考えに至りました。

こうした精神疾患の方を1万人ぐらいサポートをしていく中でわかったことは、精神疾患の方はちょっとユニークな方が多いということです。変わった個性を持った方が多いです。

そして、ユニークな個性を持ったお子さんに合った教育が日本にはないのではないかという仮説を持ったので、ユニークなお子さん向けの教育として一人ひとりに最適な学び方と環境を提供する学習教室「LITALICOジュニア」やプログラミング教育を行う「LITALICOワンダー」をスタートさせています。

今1万人ぐらいの非常にユニークなお子さんが来ていて、ある小学校3年生の子は毎日ロボットばっかり作っています。「将来、何したい?」って聞いたら「LITALICOの社員を幸せにしたい」と答えてくれました。「ありがとう。どうやって幸せにするの?」って聞いたら、「LITALICOの社員は彼女いなさそうだから、彼女の代わりになるロボットを作ってあげる」みたいな(笑)

他にも、ある中学校2年生の男の子は、アスペルガー傾向があり、興味関心が狭いんです。僕が名前を呼んで話しかけても、社長なのにプイって無視されるんですね。

ただ、彼は走るのが好きなので、1回為末大さんに来てもらって陸上教室をやったのです。為末さんがハードルを飛んでくれたときの感想を聞いたら、「動きに無駄がない」ってコメントしていました(笑)

そんなユニークで将来の可能性を感じさせる子がいっぱいいるのですが、日本の教育は学校に行けば行くほど、自己肯定感を下げていっていると感じています。これって非常にもったいないと思っているので、もっと子供たち一人一人に合った教育を提供できればと考えています。

さらに社会課題を解決していく、LITALICOの今後の展望

長谷川:学校のときのようにお利口さんだけが活躍するっていうのは幻想で、社会で活躍している人って案外クレイジーな人たちの集まりです。そういう多様な社会での活躍のために、多様な子供達の個性を繋げていくような教育の生態系を作っていきたい、そのために公教育の変革に挑戦していきたいです。

ただ、それ以外にもいま一つ着目していることがあって、それは親向けの教育を作ってくということです。家庭教育の品質はもっとスピーディーに高められると思っているので、そういった意味でインターネットのメディアを作っていきながら、親向けの大学を作るという構想も持っています。

社会課題の解決に向けて、やっぱりテクノロジーをいかに使っていくのかというのは非常に重要だと思っています。そこで、就労支援サービスでは人工知能を使って、利用者の自殺の予兆を発見するということを2年ちょっと前から研究・実践してきました。

自殺につながる様子や行動のプロファイルデータを全部人工知能に学習させていって、どういう傾向があったら自殺に至ってしまうのかを人工知能が掴み、それを元に自殺の危険性がある人を発見して、医者や家族と連携して支援するということをやっています。今かなりうまくいくようになっています。

また投資の事業として、次世代の車椅子に投資をしたりしています。

「障害のない社会をつくる」っていうのは、みんなが幸せに多様な人生を送っていける、その人らしい人生を送っていけるような社会づくりをしようということです。これは僕らだけでは難しくて、社会全体で「障害のない社会」に向けた流れを作っていきたいと思っています。

社会課題の解決って、非常に聞こえがいい言葉だと思っていますが、中身はとても難しいのです。なかなか解決できないから社会課題として残っているわけですね。

そういう難しい問題を解決しようとするからこそ、僕はテクノロジーの力や、ビジネスの力や、お金の力っていうのは思っている以上に重要だと思っていて、LITALICOとしてはやっぱりそういう大きな力を持って、社会の環境や今のスタンダード自体を変えていくようなチャレンジをしたいと思っています。

皆さんと、今日いろんなやり取りができるのを楽しみにしているので、本日はどうぞよろしくお願いします。

green佐藤:今村さんの話をこの後にお聞きしますけど、その前に、せっかくですからLITALICOの話だけでなく、もう少し人間的な話をお聞きしたいと思います。24歳というと、新卒に毛が生えたぐらいですよね。そんな人が、なぜ社長に選ばれたと思いますか?

長谷川:学生時代にインターンで3年間ぐらいはITの会社に住み込みで働いていたので、ずっと経営にはすごく関心があったということが一つですね。あとたぶん創業者の方が変わっていましたよね。

佐藤:他にいなかったんですか?

長谷川:いなかったのだと思います。

佐藤:バトンを渡されたときには、不安などはありましたか?

長谷川:それはありました。でも、LITALICOに入社した段階からオーナーシップは異常に高かったんですよ。覚悟を決めて、命がけでやるんだっていう決意がありました。

だから入社して早々、ホームページはこうやって変えましょうとか、この事業は撤退だとか、この事業にもっとアクセル踏もうとか、入社して半年ぐらいの時に当時の役員3人に、「こういう理由で全員報酬減俸してください、できなかったら僕は即刻辞めます」とメールを送って、本当に全員減俸してもらったとか、そんなことをやっていました。

今村:自己肯定感が強いですよね。それはどんなところから来ているんでしょうか?

長谷川:思い込みが結構激しい方なんですよね。だから何の理屈も知らないけど、社会はこうあるべきなんだと感じたら、そこに一直線に行ってしまいます。

佐藤:ここからも社会起業家の一端が見えるような気がしますね。まだいろいろ聞きたいところですが、それはあとにして、次は今村さん、よろしくお願いします。