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【社会起業家】真のキャリア教育を作る、認定NPO法人カタリバの取り組み

今回は「LEAP」の「社会起業家セッション」の内容をお届けします。登壇したのは、株式会社LITALICO 代表取締役社長 長谷川敦弥氏、認定NPO法人カタリバ 代表理事 今村久美氏。若くして社会起業家として大きな成果を出すお二人は、なぜ社会起業に関心をもち、継続して成果を出すことができているのでしょうか。社会起業に興味がある方だけでなく、これから何かにチャレンジしようとしている方も、ぜひ読んでみてくださいね。

「やりたいことを選ぶ」に違和感を感じた今村氏

今村:実は私も出身が岐阜なんです。長谷川さんは岐阜の多治見という所ですが、私は岐阜の高山市というとても田舎で生まれ育っています。

私は大吾さん(佐藤氏)と、おそらく大学2年生の時に出会いました。

そのとき、私よりちょっと下の年齢ぐらいの人たちが、 ITで起業といった新しい動きを起こしていて、大吾さんのグループっていうのはそういうキラキラ系の人達だったんですよ。

そこに対して反応するように、私はカタリバを作っていったということを少しお話ししたいと思います。

カタリバという団体を作ったのは大学4年生の時でした。

その当時は、ものすごく大学生が就職しづらい、特に女性が何件エントリーしてもなかなか採用してもらえないという時代でした。

そんな時に、ちょうど日本でキャリアを考えるっていう考え方が出てきました。学校教育の中でもキャリア教育という言葉が少しずつ出てきていて、それまでは就職をして、大人になっていくというプロセスが当たり前だったのですが、「自分のやりたい仕事を選ぼう」という言葉が出てきました。

私は当時、その言葉に対してものすごくアレルギー反応を感じました。

当時大吾さんたちのように本当に優秀で、ガンガンやっている人達がどんどん大きな変化を作っていっているのに対して、一方私は岐阜の田舎育ちて、ものすごく自信がありませんでした。

大学進学で東京に出てきて、これからどんな風に大人になっていけばいいんだろうという不安の中で、一歩ずつ歩んでいたのですが、周りには就職ができない友人や先輩たちがすごくたくさんいたわけです。

なのに「やりたい仕事を選びなさい」っていう言葉が、ものすごく当時の私ぐらいの世代に対する社会の問いとして加速していったわけです。

そんな中で私は、夢を持とうとか、やりたい仕事を決めようっていうキャリア教育の形や、そうした職業選択の形って「本当に正しいんだっけ?」っていうことを思いました。

例えば、私の友人の「アナウンサーになりたい」と言って一年生の時からずっとアナウンススクールに通っていた子が、アナウンサーになれなかった。

でもそれは、内定者は雇用側の論理で選ぶのだから当然。どこの会社も、ものすごい人数の人が受けるけどやっぱり能力に見合っていなければ受からない。

だから職業や就職先を限定して「A社に行きたい」といって具体的にしていけばいくほど、もしかしたらそれがうまくいかなかった時の落胆が大きくなってしまうことがあるように思ったんです。

ですが、中学生の段階からやりたいことをワークシートに書いて提出するっていう、そういうキャリア教育が浮上し始めたのです。

私はそれがものすごくおかしいと思いました。

私が高校生の時まで気づいていなかった一番大切なこと、それは、自分の人生にオーナーシップを持っていく、自分の時間の使い方を自分で決めるということです。

誰かにやらされたことを消化していく形で、高校生の時までは受験まっしぐらで皆やってきたけれど、それはもったいない。自分の人生をどんな風にしていきたいのかということを考えて、自分で時間の使い方を決めていくマインドの在り方が大切です。

遠い未来のことばかり考えるのではなくて、今この瞬間の時間の使い方をどうしていくのかを考えるという「オーナーシップ」は、私のような田舎で育った人にとっても、地域トップ校に進学したけど東大や京大とかに行けなかった人にとっても、大切なこと。

「自分の未来は自分で作り出せる」というオーナーシップを、どのような環境に生まれ育った人でも持つことが出来る社会にしていくには、どうしていったらいいんだろうかということを、イケている先輩たちに囲まれながら、ものすごく感じてきました。

その中で一つポイントになったのは、意欲と創造性が重要だということです。

学力はもちろん大切だということは分かるけれども、意欲さえあれば、経験やネットワークやスキルを積み上げることができる。日々の積み重ねが自分の未来を形作るという創造性を育み、将来大きく社会が変化し、職業も今とは違っていても、自分で自分の人生を作っていくことができる人が増えるんじゃないかと思いました。

そして、そんな意欲と創造性が自分の未来を作り出していくという可能性を、思春期世代に示してくれる存在が、ナナメの関係ではないかと私は思ったのです。ナナメの関係というのは当時、私たちでいう大吾さんたちの世代の存在。皆さんにとっての私たちもそうかもしれませんし、日本の高校生にとっては皆さんの存在かもしれません。

今の社会は分断されていて、自分が所属している高校とか大学の枠を超えて、外の世界や上の先輩たちとの関係性ってなかなか築きにくい世の中になってきていると思うのです。

そんな社会の中で、日本中のどんな片田舎に育った人達でも、憧れる誰かを見つけていけるような、そういう社会にしていきたいということを、かなり純粋な気持ちで、事業モデルということを全然考えることができない状態で作っていったのがこのカタリバという組織です。

最初はほぼボランティア状態で、アルバイトしながら生活している時間が長かったのですが、今17年経って、職員が100人ぐらい居て、ボランティアとして全国で関わっていただいている方は4,000人を超える状態になりました。

思春期の世代に必要な、ナナメの関係を作る

今村:事業モデルとしては、寄付を3億5,000万円ぐらい頂いています。LIFULLさんからも応援をいただいています。寄付を集めるというのは、一つの事業の形だと思っています。また、行政から補助金ではなくて、委託を受ける、学校から仕事を引き受けるという事業で稼いでいる部分もあります。

ターゲットとしては思春期の世代です。その世代こそが創造性、意欲を持つ必要があると思っているからです。

思春期っていうのはどうしても何か事件が起きると親のせいにされがちな世代ではあるんですが、一方で発達心理学的にも親の言うことを聞きたくない世代なので、親に対して隠し事が増えていくのですね。

そんな思春期世代が憧れる対象としては、親や学校の先生といった縦の関係だけではどうしても足りないわけです。「学校の先生、頑張ってください」と言っても日本の学校の先生はものすごく忙しい状態で、年間5,000人の人が学校を休職している状況があります。

だから、ナナメの関係が必要だと思っていて、このナナメの関係をどう日本中に拡げていくかということをずっと17年間考え続けて、さまざまな事業を作ってきました。

高校にカタリバの職員が伴走者として入って、一緒に職員室で先生と働きながら、高校の職員室の閉塞感をこじ開けて、外と繋いでいくような仕事をしてくれていたり、被災地で学習支援の取り組みを大学生がやっていたり、貧困状態の子供たちがたくさんいる場所でご飯作るという形で関わってくれていたり、色々なことをしてくれています。

中にはカタリバの職員が行政職員の一員として、行政の教育大綱の策定などを住民対話型で作ったり、そういうこともやっています。

その中で、どうナナメの関係と対話を思春期の世代に届けていくのか、ずっとずっと突き詰めてきています。私からの話は以上です。

自信がなかったからこそ、若い人の気持ちがわかる

佐藤:ありがとうございます。

今村さんの今のお話で、僕がすごく思い出深いのが、ちょうど今から10年前、2007年、2008年ぐらいの時、カタリバが割と外から見ている分には押しも押されもせぬ存在になっていて、安定基調に乗っていて、「うまくいっている、すごい」って思われていた頃。

私が久しぶりに今村さんに会って、「最近どうなの?すごく調子良いよね、カタリバ。メディアもいっぱい出てるし。」と声をかけたら、今村さんは「私、全然ダメなんです」って言って、今にも泣き出しそうな勢いでした。「大吾さん、少し経営変わってくれませんか?」みたいなことを言っていました。

ずっと事あるごとにこの話をしていると思いますけど、自己肯定感を伝える立場の今村さんが、自分の自己肯定感がとても低かったと思っていたのです。それはどういうことだったんですか?また今は変化しましたか?

今村:今は年相応の図々しさは身につけているのですが、たぶん自信の無い人の気持ちがわかるっていうのは私の強みなのかもしれないって最近思うようになってきています。

私が当時一番辛かったのはメディアに出ることです。最近まで本当にずっと苦手でした。

社会起業家っていう言葉がある日突然流行ったのですが、私はそれが何のことかいまいちわからなくて。

2001年に始めた時はNPOっていう言葉しかなくて、左翼とか色んなこと言われましたけど、NPOっていう言葉しかなかったところにソーシャルビジネスっていう、かっこいい名前が付与されて、そこから社会起業家っていう言葉が流行っていったんですよ。

その後、大学の友人が旗を振って「社会起業家」という言葉のブランディングをしていった流れで、私も色々取材を受けたのですが、そこには取材するメディアの人たちが「女性も取り上げておくか」みたいな側面があるように感じていました。

だから私にフォーカスされた取材は多かったのですが、カタリバの作り出している価値とか、そういうところに対する取材がすごく少なかったのです。本来わかってもらいたいのはそこじゃないんだっていうところが、なんとも辛い日々でしたね。

佐藤:それなりの図々しさっていう表現がありましたけど、今はもう自信がついたのですか?

今村:自信というか、チームで仕事ができるようになりました。以前は、「全部自分でやらなきゃ」とか、「全部結論出さなきゃ」って思いすぎていたのかもしれないということを、最近思うようになりました。

佐藤:いいですね。吹っ切れた感じですね。

長谷川さんにもせっかくですから、キャリアの話を少し聞きたいと思います。